東京都の地域ブランド「江戸押絵羽子板」

東京都に由来する製法で作られた江戸押絵羽子板は、東京都雛人形工業協同組合の登録商標です。

「江戸押絵羽子板」という正式名称を聞いても多くの人はピンと来ないかもしれません。

しかし、その年に活躍した有名人の姿を立体感のある造形であしらった羽子板、といえばだいたい想像がつくと思います。

本来は歌舞伎役者などが題材になりますが、旬の有名人を取り上げたものも多いことから、年末の東京の風物詩として、テレビのニュースなどで取り上げられるのが定番になりました。

ところで、よくよく考えてみれば、あんなに装飾を盛ったら、羽子板としてはどうにも使いにくそうです。

いったいなぜ不必要なほど豪華で厚盛りの装飾に発展したのでしょうか。

目次

東京都の江戸押絵羽子板とは

東京都の地域ブランド商標である江戸押絵羽子板は、東京都墨田区、江東区、葛飾区で主に生産されています。

立体の人形をぎゅっと押しつぶしたような押絵は、綿を詰めて厚みをもたせた部品をつなぎ合わせて作ります。

図柄は歌舞伎、錦絵、日本画などから題材をとりますが、近年ではその年に活躍したスポーツ選手や芸能人のような有名人があしらわれることもあります。

マスコミに取り上げられようとする宣伝という意味もあるのでしょうが、単に人気者にあやかろうという精神ではなく、実はそこにはもっともな理由があります。

その話は後ほど。

新しい題材などを取り入れながらも、江戸押絵羽子板は東京都に由来する伝統的な技法を守り、現在でもすべて手造りで生産されています。

昭和60年には、東京都知事により都の伝統工芸品に指定されました。

毎年12月17日~19日までの3日間、東京都台東区の観光地・浅草寺の境内で、羽子板市が開かれます。

江戸の昔から変わらない、東京の年の瀬の風物詩としていまも変わらず続けられている行事なのです。

東京都の江戸押絵羽子板の歴史

平安の昔から、羽子板は主に女性の遊具として使われていました。

現在とほとんどかわらない、小さな球を打ち合う遊びです。

それが次第に装飾性を増し、新年を迎える際に飾る縁起物としての性格を持つようになっていきました。

球を打ち合う遊具としての実用性から離れ、全国的に装飾性が強調されていく中で、江戸では押絵羽子板が発達していきました。

特に、江戸後期になると、当時の人気歌舞伎役者や、浮世絵の美人画などを題材にとるようになって大流行を生んだのです。

つまり、いまでいう人気芸能人のブロマイド、人気イラストレーターのポートレートのようなものです。

実際、羽子板の売れ行きが、当時の歌舞伎役者や浮き世絵師の人気のバロメーターとなっていたそうです。

江戸押絵羽子板は、その年に活躍した有名人をモデルにとることで話題になっていますが、これはいまに始まったことではなく、実は江戸押絵羽子板のもともとのコンセプトに沿ったものだったのです。

参考:
江戸の暮らしが息づく技と美(葛飾区伝統職人職人会)
東京の伝統工芸品(東京都産業労働局商工部)
葛飾区伝統産業館

江戸押絵羽子板の商標登録情報

登録日 平成2年(1990)12月26日
出願日 昭和62年(1987)9月30日
先願権発生日 昭和62年(1987)9月30日
存続期間満了日 平成32年(2020)12月26日
商標 江戸押絵羽子板マ-ク∞押絵∞江戸押絵羽子板伝産協力会
称呼 エドオシエハゴイタ,オシエ,エドオシエハゴイタデンサンキョウリョクカイ
権利者 東京都雛人形工業協同組合
区分数
第28分類 羽子板【類似群コード】24A01
登録日 平成19年(2007)2月16日
出願日 平成18年(2006)4月28日
先願権発生日 平成18年(2006)4月28日
存続期間満了日 平成39年(2027)2月16日
商標 江戸押絵羽子板
称呼 エドオシエハゴイタ,エドハゴイタ
権利者 東京都雛人形工業協同組合
区分数
第28分類 東京に由来する製法により東京都墨田区・葛飾区で生産された押絵羽子板【類似群コード】24A01
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