ネーミングをめぐる物語「資生堂」

資生堂は日本で初めて洋風薬局として開業したのが始まりで、その後、日本に欧米風のメイク文化を根付かせた第一人者と言っていいでしょう。

現在では日本を飛び出し、逆に日本で育んだ化粧文化を海外に発信するまでになっています。

ところが、社名の根底には、意外にも東洋哲学の考え方が根付いていたのです。

目次

スタートは西洋風薬局

資生堂の発祥は、1872年のこと。

西洋薬学を学んだ福原有信が銀座に、日本で初めての西洋調剤薬局を開業したのが始まりです。

当時の西洋の薬局は、薬の販売だけでなく雑貨店やカフェを併設したちょっとした複合施設のようなつくりが一般的でした。

資生堂でも西洋方式を取り入れ、店内で飲食などを提供するカウンターを設置し、日本で初めてソーダ水、アイスクリームの製造販売を介していました。

一方で雑貨の扱いも積極化。

1897には初の化粧品商品オイデルミンを発売しています。

その後、化粧品事業部が独立して本格的な化粧品開発が始め、現在の基礎を築いたのです。

化粧品メーカーとして本格的に歩み始め、日本初の本格的香水である花椿や、初期の最大のヒット商品であるコールドクリームなど業界に先駆けて次々に新商品を投入していきます。

現在は世界の120カ国に拠点を持ち、世界第5位の化粧品メーカーと言われるまでに成長しました。

東洋哲学の考え方が社名のベース

日本に欧米風のメイク文化を広めた立役者である資生堂の名称はどこから来ているのでしょうか。

実は、この社名は、中国の上古三大奇書の一つといわれる易経(えききょう)にでてくる「至哉坤元 万物資生」から取られたものなのです。

日本語で「いたれるかな、こんげん。ばんぶつとりて しょうず」と読みます。

大地の徳はなんと素晴らしいものか。全てのものは、ここから生まれる」という意味をもっています。

西洋の化学・薬学を基調にしながら、東洋哲学の背景をもつ社名を付けることで、東洋と西洋の最高のものを合わせた製品づくりをしようという同社の理念がうかがわれます。

資生堂は現在、売上が100億円以上のブランドを10種類以上もっています。

その商標は、世界中に知られています。

その根源には、自然からもたらされる恵みに感謝し、貴重な資源(人的、時間的な概念を含むと思われる)を有効に活用しようという創業の精神が込められているのかもしれません。

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